おいらの人生これから、こらから・・持病に負けず、老いにも負けず・・リタイヤ爺の独り言

はんがーカフェテリア(前編)

ショパン: 練習曲 #3 「別れの曲」 by Idil Biret on Grooveshark





土曜の昼下がり、大通りから一本仲に入った7丁目辺り、仕事を終えた翔太はのったりとその路地を歩いていた。

普段は車なので、歩くという事は滅多に無いのだが、今日は朝から車がパンク、挙げ句にスペアータイヤも、ぺっちゃんこだ。

半ドンの仕事に遅れて行くのも何だなと、車で15分の道を走って会社に駆け込んだ。

仕事が終わりタクシーでとも思ったが、何する当てもないこれからの時間、それならのんびりと歩いて帰ろうと言う事で、会社を出た。

いつもは大通りから駐車場に入るので、この通りを歩くのは初めてだ、車から見る景色とは違い、地面に足をつけて歩く町並みは、なぜか異国の地へ迷い込んだかのような錯覚に襲われる。

そんな翔太の目に入ったのは「はんがーカフェテリア」と、書かれた洒落た看板、それは古びたレンガ造りの細長い3階建てのビルの入り口に立て掛けられていた、そしてその下に「食堂はこちら」とも書かれている。

「なぁーんだ、カフェテリアなんて言うくせにただの食堂かよ!」翔太はそのアンバランスな看板が可笑しく、一人ニンマリながらついつい入り口の前で足を止めた。

入り口を覗き込むと、一人がやっとの幅の狭い階段、そして壁には又しても「食堂はこちら→」の張り紙。

「クゥー」と翔太の腹が鳴った。

「そう言えば今日は朝から何も食ってないな」朝のアクシデントで走りながら缶コーヒーを飲んだきり、半ドンで昼飯もまだだ。

「そうだここで何か食っていくか」翔太は、張り紙を横目にその狭い階段を上った。

二階に上がるとすぐ横にガラス張りのドアがあった。そしてそのドアに又しても張り紙が、なになに、「当店にメニューはございません、全ておまかせです、食事の出てくる時間もおまかせです、時間と気持ちに余裕のある方のみお入りください」。

何と能書きの多い食堂なんだ、翔太はこの張り紙に不満を抱きながらも「でもすきっ腹には変えられないや」とつぶやきながらドアを押した。

店内は華奢な二人がけのテーブルが5つと、4人座ると目一杯ぐらいなカウンターがある。

少し暗いが、窓からさす日差しは心地よさそうだ、それと壁際に前にテーブルの無い3人がけのソファが2つ並んでいる、静けさで気ずかなかったが客らしき初老の男性が2人と、20代と見るにはちょっときついかなと思われる女性が一人、みな思い思いに本を読んでいる。

そう言えば窓の下のアンテークな書棚には、背丈もまちまちな種々の本が並んでいる。

文庫本や単行本、写真集・美術全集それに実用本、翔太が気になったのはハリポタのハードカバー本だ、賢者の石から死の秘宝まで、上下巻洩らさず11冊が整然と並んでいるではないか「すげー」。

「それ全部私が持ってきたの」、翔太のつぶやきが聞こえたのか、ソファの女性は読んでる本から視線を外さず口を開いた、静まり返った食堂にその声が響いた、「えっ」っと翔太は初老の男性越しに彼女に目をやった、その横顔は意外と幼い顔だちだ。

「いらっしゃいませ」、本棚の前で中腰になっていた翔太が振り返ると、カウンターの奥に、真っ白な調理服、首には小豆色のチーフ巻いたシェフがいる、「えっ、シェフ!!」。

そうなのだ紛れもないシェフのいでたち「そんな・・・、食堂と自ら宣言しているのにぃ」、翔太はちょっとうろたえながらも「こんにちわ~」と軽く会釈をした。

翔太がカウンターに近づくと「和食と洋食どちらが宜しいでしょうか」、おっとりとした口調でシェフが問いかける、「お、おまかせでは!」「はい、どちらかで、おまかせください」、「それじゃ洋食で」、「承知いたしました」、「ん・・どこかで聞いた台詞・・」翔太は心の中でちょっとにやけた。

トーンの変わらぬやりとりがに、ここで途切れた。

又静まり返った、背を向けたシェフに「あの~、幾らですか」少々不安になった翔太は、シェフの背中に聞いた、「995円でございます」もう一度翔太の方に向いてシェフは応えた、「但しお気に召して頂ければでございます、気に召して頂け無ければお代は要りません」、こんな高飛車な物言いなのに、仏に諭されている様な、仏?、生まれて30年、神も仏も信心無しの翔太なのだがそんな不思議な気持ちが湧いて来るのに、嫌な気がしなかった。

「そちらでごゆっくりと」背中でシェフの声を聞きながら、クローズされたテーブルの間を抜けてソファーの前に行く、「よろしいですか」、「どうぞ」やさしく読みかけの本を閉じ彼女は、軽く会釈をした。

「ども」翔太も会釈を返して端に腰をかけた、ソファは少し硬めだがなんとも座り心地が良い。

「あの本はみんな」、「ええ、ここへ来るたびに一冊づつ読んで置いていくんです」「それじゃ読み終わるまで待ってるんでしか」、「はい」、「それじゃ11回もここに来られてるんですか」、矢継ぎ早の翔太の質問に「いいえ毎週土曜の午後いつも、そちらのおじ様達も、そうなんですよ」優しく微笑む彼女の声にくすぐられながら、翔太に顔を向けた、二人のおじさんにぺこりと頭を下げた、彼女越しに見る彼等は軽く会釈をかえして、手元の本に目を落とした。

又、「クゥー」と翔太の腹が鳴った。照れ笑いしながら、「朝からなにも食べてないもんで」彼女はクスリと笑う、そんな彼女の膝に置かれた古びた本に翔太は見覚えがあった。

パステルの空色の中に、幼い少女が、タンポポの綿毛を飛ばしている、翔太が、父親の遺品を整理している母から手渡されたあの本だ。

「それは?」

「いつもバッグに入れて歩いてるの」

「・・・」

「あ、これはここの書棚には置かないの」

「・・・」

「僕も持っているんですよ」

「・・・」

「好きなんですこのうた」

「・・・」

すると、彼女は挟んだ手のページを開き、読み出した、まるで翔太に囁くように。

「青いお空のそこふかく、」

「海の小石のそのように」

「夜がくるまでしずんでる、」

「昼のお星はめにみえぬ。」

「見えぬけれどもあるんだよ、」

「見えぬものでもあるんだよ。」

翔太もこの詩が好きだった。
心地よい囁きの中。
彼女の横顔は、本の表紙の女の子に似ている。

「ちってすがれたたんぽぽの、」

「かわらのすきに、だァまって、」

「春のくるまでかくれてる、」

「つよいその根はめにみえぬ。」

「見えぬけれどもあるんだよ、」

「見えぬものでもあるんだよ。」

一人部屋で読むこの詩は、いつも悲しいのに今、こうして聞くこの詩は違う。

「希望の歌・・・?」

翔太はつぶやいた。

「私もそう感じたの」

「・・・」

「でも彼女、今の私の歳で亡くなったのね・・・」

そういって今度は、ぱたと本を閉じた。

「母の形見なの・・・」

通ずるものを感じたのか、翔太と目をあわさず閉じた本の表紙に目を落としたまま、母親とのわかれ、そして手にした本の経緯を翔太に語り出した、まるで独り言のように。

3才の時に母を亡くし、母親の顔は写真でしか知らない、今も父親と二人で暮らしている事。

高校生の頃、父親の本棚にあった、この本を見つけ、「母さんの形見だよ」と父親からもらった事。

そして母が逝った歳が、みすゞと同じ26だった事。

「変ね・・」

会ってから30分経つか経たないかの翔太にこんな話をと思ったのか、彼女の頬が紅らんだ。

「かおるって言います、木下薫です」

「斉藤翔太ですしょうって呼ばれてます」

まるで学生同士の自己紹介に二人は照れた。

翔太と薫はまるで長いつき合いの友人のように金子みすゞの詩への思いに始まり、日常の他愛のない事など語り合った。

いっとき、話が途切れ元の静寂が訪れた時

「あ、・・」

腕時計を持たない翔太は、携帯を開け時刻を確認した。

「もうこんな時間・・」

時刻は3時を過ぎていた。

「ここって、いつもこんなに待たされるの」

翔太は小声で薫に尋ねた。

「ええ」

薫は事も無げに笑顔で応えた。

翔太は、その返答になぜか「なぜ」っと返す気がしない、妙な気分だった。

それは、薫といるこのひとときが、心地よいせいなのか、今しばらく、このらしくない雰囲気の中に、立ち止まっていたいような気がした。

「ま、いいか」と翔太は心の中で呟いた。

薫が本を選びに立ち上がった時、翔太も後につづいた。

翔太は、意外にも周作の”反逆・下巻”を手にした薫に驚きながらも、「これ読ませてもらうね」とハリーポッターとアズカバンの囚人を抜き出した。

翔太にとって唯一、このシリーズで読み落としていたものだ。

二人はソファにもどり各々、物語に浸っていった。

小一時間も経っただろうか、翔太は自分が空腹であるのに気がついた。

「腹減ったなぁ」

顔を上げた翔太は、カウンターの奥にいるべきシェフの姿が無い事に気がついた。

いったい彼は何者なんだろう、食堂の親父にしては洗練された雰囲気だ、それにこのアンテークな室内は、ひょっとして道場や三国清三のような超高級シェフのお仲間で、お遊び的にこんな風変わりな場所を、創ったとか、でも、それにしてはここから見える厨房には調理用具、器具の手合いが見当たらない。

翔太の疑問は、段々と膨らんでいく。

それにしても、薫やお隣のおじさん達は相も変わらず本を読んでいる。

もう4時を過ぎている、翔太は少しいらつきを覚えた。

カタコトとカウンターの奥で物音がする。

読みかけのハリポタを閉じ、顔を上げると、シェフが戻っている。

「あのシェフはどんな人?」

翔太は薫に声をかけた。
読みかけの反逆を膝に置き薫は翔太を見た。

「お坊さんなの」

訳の分からない顔をしている翔太に

「この裏の慶福寺の住職なの」

「お坊さんがシェフ?」

「格好はね、でもシェフなんかじゃないわ」

「・・・・」

「食事を出すので、それらしくとの事みたい」

「それじゃここは」

「普段は住職で平日はPM6:00、土曜だけはお昼から」

「どうして・・・」

「父の趣味なんです」

「おとうさん!」

「そう、父なんです」

翔太の声が聞こえたのか、カウンターの奥のシェフがにっこり微笑んだ。

驚いている翔太の仕草が滑稽に見えたのか、薫は笑いながらその経緯を話し始めた。

薫の家は祖父の代から住職で、父の名は祥幹と言う、僧名のような名は,祖父が将来寺を継いで欲しくてつけたのだそうだ。

その後,紆余曲折があったが、祖父の死後、最終的に寺を継いだ。

祥幹は最初から僧侶を目指したのではない、大学もまるで違う法科で、弁護士の道を望んでいた。

しかし祥幹が3年の時、彼の父が床に伏し、父の断っての頼みを受け、大学を中退し、半年ほど総本山で研修を受けて僧侶になった。

その直後、祖父が死に住職を継いだ、祥幹22才の春の事だ。

祥幹が寺を継いで五年が過ぎた頃、檀家の岡崎家の一人娘、朝子と結婚、すぐに薫が生まれた。

朝子は地元の高校を卒業して、北大の文学部に入り本好きが講じて、在学中、明治大の講習会に一ヵ月通い司書資格を取った。

その時、朝子の一ヵ月の、東京暮らしにあたり、岡崎家から相談を受けたのが祥幹だった、祥幹は明大時代の親友が、御茶ノ水にいたので、駿河台キャンパスに近い彼の実家に居候させてもらうことにした。

そんな経緯もあり、帯広に戻り図書館勤めをしていた朝子との恋は必然のものとなり、朝子の父の3回忌の後、所帯を持った。

祥幹と朝子は薫をこよなく愛した。

だが、三人の珠玉の生活も、三年目の秋に朝子の突然の病によって幕を閉じた。

それから現在まで祥幹は、娘一筋に、又、悟りの世界で生きてきた。

そして薫も又、母の意を汲むかのように、北大を経て、母が僅かな時を過ごした、同じ図書館で働くようになった。

北大を卒業し、薫が働き始めた、祥幹50才の時、求不得苦の悟りをと言う事で、この食堂を始めたのだ。

「あら、嫌だわ、会ったばかりの貴方に」

「いいえ・・」

薫の頬は又しても紅く染まっていた。

しばらくの沈黙のうち翔太が口を開いた。

「求不得苦(ぐふとくく)って?」

「後から父に聞くといいわ」

「お腹すいたでしょ」

「すごくすいてるんですよ、薫さんは?」

「私も、今日は、まだ何も食べていないんですもの」

「実は僕もなんです、こんな事は初めてです」

すると薫は赤い頬のまま、楽しそうに笑った。

薫との話が途切れ、翔太は携帯を開いた。

もう5時だ、その時カウンターの向こうから「高木さん、坂本さん、用意出来ましたよ」と薫の父である祥幹が、隣のソファーで本を読む二人に声をかけた。

なぁんだ皆知り合いなのか、翔太は妙な気分で彼等に目を向けた、二人は待ちかねたように本を戻すと席についた。

そして「お客さん、薫も出来ましたよ」祥幹はにこやかだった。

何かきつねに化かされているような、この雰囲気も空腹の翔太にとっては気にならず、そそくさとテーブルに向かった。

「こちらよろしいですか」

「どうぞ」

薫が翔太の向かいに座った。

隣のテーブルは、同じように向かい合って、老紳士が座った。

まもなく薫の父が料理を運んできた、老紳士の所に置かれたのは、一膳のごはんと、味噌汁、小鉢に入った卵、それに二切れのたくあんだった。

翔太と薫には厚焼きの半切りトースト二枚と、ホットミルクだ。

「おまかせってこれ!」

翔太は少々狼狽した、隣の料理といい自分の目の前にある、トーストといい、とても料理とは言い難い。

「四時間も待ってこれか」

翔太は995円のこの食事に承伏しがたかった。

「いただきます」

それぞれが、軽く手を合わせた後、食事に入った。

翔太もそれに合わせて、トーストをちぎり口に放り込んだ。

「うまい!!」

何の変哲もない、いつも食べているこのパンが、途轍も無く美味いのだ。

「ただのパンではないな」、シェフの拘り抜いた手作りの本食だ、心の中で翔太は感嘆の声を上げた。

目の前の薫も、満足そうな笑みを浮かべながら、この食事を楽しんでいる。

ミルクを口に運びながら、翔太は隣に目を移した。

二人の紳士も美味そうに食べている、「あれが和食」、でもまさに和食だ、あの美味そうなごはんは、長沼のコシヒカリ、いや今時は「ななつぼし」、いやいや「ゆめぴりか」かもしれない、カツカツと小鉢で溶いているあの卵は、きっと烏骨鶏だ。

翔太の想像は膨らんで行った、それは日本一、牛乳の美味いといわれるこの十勝で、味わった事の無いこのミルクを飲んでいるせいなのかも知れない。

しばらくの間、4人は言葉を交わさず、目の前の極上の食事に勤しんだ。

ポコポコと音が聞こえ、翔太は顔を上げた、カウンターの上で薫の父が、古めかしいサイホンでコーヒーを落としていた。

翔太が古めかしいサイホンと感じたのは、翔太の父がよく使っていたそれと似ていたからだ。

普段は何もしない父が、コーヒーだけは自分で落として飲んでいた。

カリカリと鋳物のミルで母と二人分の豆を粗く引き、引いた豆の入った木箱を脇に置く、乾いたタオルで優しくフラスコを拭き、アルコールランプに火を入れ、ポコポコと湯が沸騰すると、ロートを差し込み、木べらで慎重にかき混ぜる、翔太は父の日々繰り返される、この一連の仕草が好きだった。

普段はがさつな父がこの時ばかりは、しっとりとした風格をかもし出す、母もこの時だけはお客さんだった。

翔太は、穏やかだったあの頃の風景が、ロートをかき混ぜる薫の父の向こうに見えた気がした。






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