おいらの人生これから、こらから・・持病に負けず、老いにも負けず・・リタイヤ爺の独り言

完結しました。


なっちゃんの帰郷

5月と言うのに32℃の灼熱の昼下がり、ワンショットバーを経営する親友の太一から電話が入った、いつもは車のダッシュボードに放り込みぱなしの鳴らずの携帯だがその日は珍しく持ち歩いていた。
「おう、翔太か」
太一のいつもの声だ。
「何かあったか」
「今、トモから連絡があって奈津子が帰ってきてるから明日の晩にミニクラス会をしたいってな」
「明日かそりゃ又急だな」
「なんか直ぐに帰るってよ」
「俺はいいけど他の連中はどうなんだろな」
「女連中はトモが声をかけるってよ」
トモ、飯坂智子は20代で東京暮らしを始め、そのまま向こうの男性と結婚、しかし子供に恵まれず、格式ある彼の一族との確執もあり、7年の結婚生活を断念して故郷の帯広へ戻ってきた、それ以来病気で妻を失った弟の二人の子供の母親代わりになり、独身を通している。
トモとなっちゃんは就職先は違ったが東京暮らしの中、数少ない友人として数年間互いのアパートを行き来し、その後も親友付き合いを保っている。
それでも東京と帯広では、せいぜい年に数回、電話で近況を語らうぐらいだそうだ。
おいらがなっちゃんの顔を見るのは5年前のミニクラス会以来だ、独身を通してきているせいか風情も身のこなし方も若い、それに加えて長年の東京暮らしからくる訛りの無い洗練された言葉使いがすごく垢抜けていて58年の生活感が微塵も感じられなかった。

たしか22才の時だったか、その頃、虎ノ門のオークラで働いていた太一の所へ遊びに行った時、トモとなっちゃんを呼び出して4人で人形町のビニールハウスみたいな安居酒屋で飲み明かした事がある。
そう、近頃よくみる韓国ドラマで登場する、テント張りの屋台、その中で若い男女がチャミスルを酌み交わす、そんな感じの40年前の記憶。
あの頃は皆、夢と希望に満ちあふれ、それぞれの思いを語り、そして耳を傾け、眠る事を知らない都会の喧騒の中、朝日が顔を出しても、語らいは尽きる事はなかった。
翌日おいらは、集まりの時間よりも一足先に、太一の店ワンショットバー蘭に着いた、昨日の狂ったような暑さが嘘のような今日の気温は18℃、当然夜の7時ともなれば寒さが身に沁みる、案の定店は暖房が入っていた。
ほっとする薄暗い空間の奥から、珍しくピアノの音が聞こえる、楓ちゃんだ、彼女は昔から帯広のホテルのエントランスやクラブを掛け持ちでピアノを弾いている、数年前に体を壊しピアノ弾きは廃業したのだが、太一のこの店ではたまに顔を出し、ジャズを奏でる。

そもそも此処のピアノは昔から彼女専用なのだ、もう遥か昔の事なのだが、太一がこの店を始める時ホテルのエントランスの片隅でピアノを弾いていた彼女に自分の店で演奏してくれるように頼み込み、狭いバーの奥にグランドピアノまで用意したのだ。
あれから30年あまりの歳月が過ぎたが太一と楓ちゃんは相変わらず関係を保っている、太一がこの店を始めた時はすでに結婚して妻も子もいたのだが、楓ちゃんは独身、学生時代バスケのキャプテンだった太一は長身の二枚目、楓ちゃんが惚れるのにそんなに時間はかからなかった。
好きになっちゃったのはしょうが無い、でも太一には妻も子も、一方、太一はと言うと彼女は店のムードメーカー的な良きパートナー、歳も7つ離れているので妹みたいな存在、だったかは定かではないが、ともかく不倫には似合わない性格。
好きな男に恋を打ち明けられず、矛先は彼の親友であるおいらに、太一への恋心をおいらにぶちまけ、おいらの胸で泣きじゃくる彼女、犬も食わない他人の恋路をたっぷり食わせられ、太一には内緒にしてくれと口封じされて、おいら二人の恋路の板挟み、そんな事が4、5年続いた。
それから太一への思いを抱いたまま楓ちゃんは、札幌のドクターと結婚、この時の彼女は結構不届きな女だった。
本来二人の関係は可もなく不可もなくここで途切れるはずであったのだが、不幸な事に彼女の旦那が、ドクターなのに白血病に気ずかず、気ずいたときは手遅れで結婚3年目で死んだ。
その翌年札幌の自宅を手放し帯広に帰ってきた、あの時丁度カウンターで飲んでいたおいら達の前にやつれた楓ちゃんが現れ、そして今度は太一の胸に埋まり泣き崩れた、それから又色々あったのだけれど今となっては懐かしい思い出だ。
彼女の演奏時間外はバラード調のポップやジャズのBGMが流れカラオケは無い、だからと言う訳でも無いのだが、店はしっとり落ち着いた、大人の雰囲気だ。

だからおいらやおいらが連れてくる友人が、何時ものように馬鹿騒ぎをするとマスターは機嫌が悪くなる、保たれていた大人の雰囲気と言うやつが台無しにされるからだ。
おいら正直このシックなムードが苦手だ、楓ちゃんがピアノを弾いている時は大人しくしているのだが、カクテルグラスを傾けながらお洒落なお話となると、どんどんいけいけの某キャバレーが恋しくなる、まだまだ大人に成れない、そんなおいらを自覚するのもここにいる時だ。
ところで彼女、もうとっくに50を過ぎているのに、いつものフランス人形のような出で立ち、厚めの化粧はきらびやかなのだけど、ちょいと怖い、素はかなりの美人なのにどうしてそうなるのかなぁと、いつも思う。
「珍しく早いお出ましだなぁ」
皮肉っぽく太一が声をかける。
「斉藤君お久しぶり」
ここの仲間は皆おいらを君づけで呼ぶ、楓ちゃんも例外ではない。
「どした体の方は」
ピアノの手を止めた彼女にカウンターから声をかけた
「まあまあかな、斉藤君こそどうなの」
「ゴルフ始めた・・」
「おいおい大丈夫なのか」
太一が口を挟む。
「コースは無理っぽいけど、打ちっぱなしはほぼ毎日行ってる」
「去年の今頃なんか杖をついて来たくせに、杖がアイアンに変わるとはねぇ」
太一がそう言って笑う。
「凄い!何だか嬉しい、私も頑張らなくっちゃ」彼女は顔を綻ばせた。
彼女の笑う顔はとても可愛い、でもそのお化粧はやはりちょいと怖い。

「とりあえず3人で乾杯しょうか」
おいらが二人に声をかけると、太一はすかさずギネスをバカラのオノロジーに7分ほど注ぎサージャーにのせた。
黒ビールに琥珀色の泡が盛り上がりとても旨そうだ、つい手が出そうになるが、これは太一と楓ちゃん用、おいらにはいつものシーバスリーガルのロックが、糖質制限を止むなくされているこの身にとってギネスは天敵だ。
「翔太よいつも安酒飲んでないで、たまにはこのマッカランでもキープすれよ」
乾杯の後、ロガシュカに口をつけるおいらに向かって珍しく商売気たっぷりに太一は言った。
「おいおいワンショットバーのマスター様がボトル売りかよ、おいらシングルモルトはどうもねぇ、ブレンデッドが口に合うって言うか、どうせその12年物見栄張って並べて結局のところ、売れ残りだろう」
どのみち最終的にはおいらのプレートが掛けられるのだがちょいと悔しいので、皮肉たっぷりに、そしてにゃりと意地悪く笑って見せた。
「サンキューこのところ高い酒は敬遠されてなぁ、助かったよ、やはり持つべき者は友ってか」おどけて見せる太一、好きでやってるこの商売、いや好きでなけりゃ出来ないこの商売、そんな太一の所にも業界の冷たいすきま風が忍び寄って来ている、40度のアルコールを口で転がしながらふとそんな事を考えていた。
ドアの開く音と共にトモが入ってきた。
「あら狡い、仲良く3人でもう始めてる、ちょっとの時間ぐらい待てないかなぁ」
入ってくるなりのトモの一声である。
「ご無沙汰してます」
トモの後ろからぱっと見40代と言っても過言ではない垢抜けたご婦人が顔を覗かせた、なっちゃんだ。
なっちゃん、野崎奈津子は杢グレーのタートルプルオーバーにオフホワイトのパンツ姿で現れた、タイミング的には肌寒い今夜に最適なファッションだ、それに5年前のあの時よりも若々しく映るのは、一段と華奢になった体のせいなのか。
「よぉ」
まるで示し合わせたかのように太一とおいらは同じ言葉を発した。
「本当愛想がない二人ね」
ジーンズ姿のトモがおいら達をあきれたように見回した。
「相変わらずべっぴんだな・・」
ぶっきらぼうにロック氷にピックを突きたてながら言った太一の言葉になっちゃんの頬がちょいと色づいた。

そんな二人を斜に見ながらふとセピアなあの頃が思い出された。

学生時代も終盤に差しかかった夏の終わりに皆で十勝川の花火大会に行った、トモとなっちゃんそれに数人の女子とおいらと太一、なぜか男は二人だけだけだったが、全員浴衣姿で雑踏の中を駆け回った、やがて花火が終わり帰り客で混み合う堤防を避け、普段は野球場の河川敷に降り暗い芝生の上を皆両手に下駄をぶら下げながら歩いた。
寄り添うように歩いていた二人の後ろ姿が歩みを止めた時
「好き・・」
「困る・・」
怒るように好きと言ったのは、なっちゃん、消え入りそうな声で困ると言ったのは太一、その後二人の間にどんな出来事があったのかは知らない、そんなやりとりが他の女子にも聞こえていたはずなのに、誰も話を持ち出さなかった、そして40年以上経った今ではそんな事覚えているのはきっとおいらだけじゃないかと思う。

太一はオーダーもとらずに割った氷をカクテルグラスに盛り、バースプーンでクルクル回す、そのグラスを手元に置きシェーカーに冷凍庫から取り出したアブソリュートを目分量で注ぎメジャーカップに用意したホワイトキュラソーとレモンジュースそれに氷を合わせ軽いタッチで20回ほどシェイク、いつ見ても感心する華麗な手さばき、シェーカーのキャップをとりキンキンに冷やしたグラスに注ぐ、淡い黄色の液体は最後の一滴でピタリと納まる。
そして太一はトモの向こう側に腰を下ろしたなっちゃんの前に何も言わずにすーとそのカクテルを差し出した、淡い黄色のそのカクテルの正体はバラライカ、甘酸っぱい口当たりの影にアブソリュート(絶対的)と言う意味を持つ名の40度のウオッカが潜んでいる。
奴が何を思って彼女に無言でそれを差し出したのか、おいらの頭の中で20代のあの時の、オークラのバーカウンターでの出来事が鮮やかに甦えった。
「太一!それはやばいしょ」
昔に戻ったおいらが太一に言った。

バラライカは不思議なカクテルである、ベースをブランデーにするとサイドカー、ジンだとホワイト・レディ、ラムベースならXYZ、そしてテキーラならマルガリータとそれぞれ意味深な名前で呼ばれている。
おいらの青春時代ではそんなカクテルの意味なんぞ無用の知識だったのだが、今こうして歳を重ねて来るとなにか興味深いものがある。
おいらが今の仕事を始めて何とか軌道に乗せた頃、仕事でよく東京に足を運ぶようになった、まだ20代後半の時代だ、東京へ行くとよく太一の所に泊めて貰った。
あの頃のオークラのオーキッドバーは午前11時からランチタイムがありクローズは深夜0時、だからおいらが此処に来ても仕事に明け暮れる太一と飲みに出歩く事は殆ど無かった。
午後2時にランチタイムが終わると夕方まで訪れる客もまばらになる、そんな時間帯を見計らってカウンターでバーテンダーの太一を差し向かいに昼酒をよく飲んだ、もちろんあの頃のオークラはおいらみたいな若造には敷居が高くそれでも臆することなく通う事が出来たのは、太一が同郷のアシスタントマネージャーに頼み込んで、オークラクラブインターナショナル会員カードをおいらの為に取ってくれたからだ。
そして何度かはなっちゃんとトモを連れて言った事がある、その頃はドレスコードが純然と生きていた時代で、田舎もん丸出しのおいらは一丁来のスーツ、それとは対照的に洗練された彼女達、細身で八頭身でサラリと着こなしたワンピー姿は、どこぞのお嬢様風でドアボーイも一礼するほどだった。
あの頃、おいらはあの花火大会の出来事から、なっちゃんは太一を追いかけて東京に出てきたのではないかと勘ぐっていた、だがトモも太一もそんな素振りを見せないし、都会で暮らす三人の必死に生きる日常は、そんな色恋とは無縁なのかなどと思ってもみたりしていた。
メインロビーからその奥にあるオーキッドバーにエスコートされて現れたおいら達を見て、慌ててロビースタッフの同僚に頭を下げる太一を尻目に、両手に花の状態でおいらはとまり木に腰を下ろした。
後ろのボックス席には客は無く、オーク調の色彩の中ソファーに落ちるカラフルなステンドグラスの灯りが、重厚な雰囲気さえ感じるこの空間に愛らしさを添えている。
訪れるメンバーは殆どシニアクラスの中、まだけつの青い若造三人は何故か堂々としていた、周りのスタッフも隔たり無く接してくれる、これも太一が同郷のアシスタントマネージャーに可愛がられていたからこそ出来た技、そんな事を知ったのは彼が此処に帰ってきてからだったのだが。
なっちゃんが最初にオーダーしたのがバラライカ、太一が小声で「止めておけ」と言ったが、彼女は何かを決心したかのように太一の言葉を拒んだ、おいらその時バラライカとは何者か知らなかったので「おいらもそれを」となっちゃんに続いた。
おいらとトモは酔いも手伝い静かに盛り上がり、それからの二人の無言のやりとりを知るよしも無く、ただ三杯目のバラライカでなっちゃんの瞳から涙がこぼれ落ちた。

あれから三十数年の月日が流れた

差し出されたそのカクテルと「太一!それはやばいしょ」と言ったおいらの言葉にいちばん反応したのはトモだった、トモはおいら越しになっちゃんを覗き込み右手はおいらの肘を掴んでいた。
賑やかな笑い声と共に香織と夏美が入ってきた、結局今日のメンバーはおいらと太一と女子4人、それと楓ちゃんだ。
まてよ、七つ下の楓ちゃんは別として、これってあの花火大会のメンバーではないか。
「やだぁ奈津子全然変わってない」
歳に似合わぬ黄色い声で叫んだのは、もう3人の孫持ちの香織だ、彼女がなっちゃんと合うのは20年ぶりだ。
「ホントね悔しいくらい」
香織に続いて、5年ぶりの再会にしては何ともそっけない挨拶をするのは、合う度に開業医になった息子の自慢話に花を咲かせる夏美だ、彼女も孫がいる。
カクテルに手を伸ばそうとしていたなっちゃんは、一端とまり木から降りて、ばあちゃんらしくない派手な服装の二人と再会を喜んだ。
2人分のギネスを手早く泡立てながら「まずは乾杯だな、翔太音頭とれよ」太一は顔を上げずに言った。
いつの間にかトモの前にはシンデレラが出来ている、この中で唯一アルコールが駄目な彼女は、このカクテルがお気に入りなのだ、普通このカクテルはシェイクするのだが何故かトモはそれを嫌い、マドラーを添えて貰い、口をつける毎にカランカランと自分でステアするのだ。
「ご指名に与りましたので不祥と言うか出無精の私めが乾杯の音頭を取らさせて頂きます」ちょいとおどけて言って見せたおいらに、
「そうよ翔太は最近出席率が悪いんだから」
トモがすかさずチャチャを入れる。
そう言えば毎月、月初めに行われるミニクラス会は今年に入って2度ほど欠席している。
「とにかく今日ははるばる東京からなっちゃんが来て、又こうして見慣れた顔ばかりですが一堂に会する事が出来ました事は何とも幸せな事であります」
「やだそれ五年前にも聞いた」
今度は夏美だ。
「ま、とにかく乾杯」
彼女らの突っ込みに、おいらは早々に話を切り上げ乾杯に持ち込んだ、それにしても同じ事を言ったとは自分でも驚きだ、それに五年前のその後の展開もまるで記憶にない。
それぞれが再会の音を鳴らし席に腰を下ろした。
「あの日の事思い出したんでしょ」
トモがおいら越しになっちゃんのグラスを指さし耳元で囁いた。
「ん、まぁな」・・

「もう昔の懐かしい思い出だよな」
おいら達の話が聞こえたのか、太一は誰の言うでもなく呟いた、そしてなっちゃんはこっくり頷いた。
「女子はこちらに移動、男共には聞かれたくない思い出話もあるしね」
昔から親分肌の夏美がたった一つしかない四人がけのボックスに三人を誘った。
ボックスに移った彼女達はすっかりあの頃のに戻っていた。
「まるで井戸端会議だな」
仲間外れのおいらは憮然とする。
「それじゃ叔父さん二人を独り占めしちゃうか」
楓ちゃんがおいらの隣に席を移してきた。

「いらっしゃいませ」
太一の声で40年前の乙女達が声を潜めた、入ってきた来たのは若いカップルだ、二人は太一に挨拶をすると左奥のカウンターに席を取った、楓ちゃんがさりげなくピアノに向かい若い二人の為にポップスをジャズ風にアレンジしてソフトに奏でる、賑やかだった店内は何時ものシックなムードに戻った。
若者達はここで何度か一緒になっている、太一はキープボトルを手に「何にします」と彼女に声をかける。
「ブルーラグーンを」
手元のメィニューを開かずお決まりのように彼女は答える、「いつものね」、「はい」、太一が用意し出すとなるほどと思った、ウォッカとブルーキュラソーを落としてレモンジュースをたっぷりだ、シェィクのリズミカルな音を楓ちゃんのピアノが追いかける。

ブルーラグーンのカクテル言葉は誠実な愛、そんな言葉を知ってか知らずか、ロックグラスとさわやかなブルーのカクテルグラスのクリスタルな乾杯の音は、この歳になるとちょいとこそばゆかった。
「所でさっきの、翔太は知ってたの」
井戸端会議からはずれてトモが隣に戻ってきた。
「なにを」
「あの事よ」
「あの事って」
「太一となっちゃんのことよ」
トモは二人の何を知ってるんだろう、おいらが今まで気になっていた、花火大会の出来事や東京のバーでの事は、おいらだけの思い出かと思っていたのだが、そうではないらしい。
「なんだやはり何かあったんだ」
おいらは太一の視線を感じながらトモに聞き返した。
「もお遠い昔の事だから言っちゃってもいいよね」
トモは太一を見上げて同意を求めた。
「それじゃ私からお話しさせて」
いつの間にかなっちゃんが背中からおいらの肩に手をかけていた。

太一となっちゃんは幼馴染みで、同い年だと幼い頃は女の子の方が早熟だ、お互い一人っ子で父親の仕事が同じで社宅も隣同士、なっちゃんにとっては太一は弟で、太一にとっては姉さんで、幼稚園、小学校、中学校、そして高校まで一緒、小学校まで太一はなっちゃんに手を引かれ、家に帰ってもどちらかの家でいつも一緒だった、両親達も2人姉弟のように育てた。

思春期の入るとそれは当然のように二人はそれぞれの世界へ、それでも夕食はやはりどちらかの家で一緒に、そんな行き来も高校に入るとぴったり無くなり、太一は夜遅くまでバスケットにのめり込んでいた、今まで常に太一の先を行ってたなっちゃんは、気がつくと太一の後ろ姿を追うようになってた、彼が同級の幸子に恋をうちあけたと聞き言いようの無い寂しさで夜も眠れなかった、それが恋だと気ずいていても、太一はやはり姉さんとしてしか見てくれない、高校はバス通なので家を出るのはいつも一緒、太一は姉弟として仲のよさは昔と変わらずだ。

そしてあの花火大会の事、女として振り向いてくれない太一に、恋人をいるのを承知で、自分の気持ちを打ち明けた「困る・・」と一言太一は言った、その後何事も無かったように別の話題に切り換えた、しかし繋いだ手は最後まで離す事は無かった。

そんな夏が終わり翌年太一は地元で就職したのだが付き合っていた彼女との破局を境に東京に、そしてオオクラに就職、その翌年奈津美も地元の短大を卒業するやいなや東京へ、太一が借りたアパートは川崎で横浜の港南区にある親戚の家に居候するようになった奈津美の所とは大した距離ではなかった、でもそれから数年は帰郷もすれ違いで二人は合う事が無くなっていた。

二人が再会したのは、奈津美がが板橋の区立保育所に勤めるようになってから四年が過ぎた秋の休日、新しく建て直された上野の美術館を見学に行き、そこで偶然にも、都内の通信会社で働いていたトモと再会し、その頃太一と行き来のあったトモは彼を呼び出し三人で飲み会を開いた、三人が上京して5年目の事だった。

その後三人は月に一度の飲み会を約束し、トモが社内結婚し埼玉の旧家に嫁ぐまでの数年は人形町の例の居酒屋でその飲み会は続いた、その後二人は逢う機会を失い半年が過ぎた、小さいころから姉弟のように育った二人、いつしか姉だった奈津子は妹に、弟だった太一は兄に、その頃でも太一にとって奈津子はあくまでも妹で、それに反して奈津美は太一を一人の男として愛し、その愛が冷めることはなかった。

あの時、太一が恋人と決別して東京に旅立ったと知った時、奈津子は居ても立っても居られなかった、何の音さたもないまま一年が過ぎ、短大を卒業した奈津子は上野の駅に立っていた、本当はすぐにでも太一の胸にとび込んで行きたかったのだが、自分の愛を否定されたらと思うと怖くて連絡さえもできなかった。

そんな時トモと再会し太一と逢うことが出来た、それも毎月逢うことができる、他愛もない会話しか出来ないもどかしさはあったが奈津子にとって、それは至極の時間となった、酔って抱きかかえられて歩いた雑踏の中、幾度とこのまま時の流れが止まってくれることを願った事か。

恋の神様は時として悪戯なもので、奈津子の思いは形にならぬまま、時だけが過ぎ、あの日オーキッドのカウンター越しに太一が「結婚することになった」とぼそっとつぶやいた時「おめでとう」と言葉に出来ずあふれた涙がカウンターを濡らした。

あの時が私の初恋の終点だったという話、ま、若かりし頃の胸キュンな思い出ってとこかな、それから色々恋もしたのよ、でも縁は異なもの味なものっていうでしょ、今じゃ味わい深い独り身の老婆になっちゃったけどね、そう言って明るく笑うなっちゃんの瞳の奥が潤んでいるように見えた。

今日は珍しく、若きカップルが3組も訪れカウンター席は満席となった。








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中高年よ大志を抱け
クラーク02
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Author:ばく
獏(ばく)は、中国から日本へ伝わった伝説の生物。人の悪夢を喰って生きると言われてます。どうぞ悪夢を見た時はここに来て「この夢をばくにあげます」とコメントして下さい、そうすれば貴方は、その悪夢を二度と見ずにすむ事でしょう。

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