おいらの人生これから、こらから・・持病に負けず、老いにも負けず・・リタイヤ爺の独り言

なんて事はないんだけど



父親を知らない、いや知らないと言えば嘘になる、かすかな記憶を辿れば、たぶん6〜7歳の頃だったと思うが、背中を流してもらいとても気持ちが良かったと言う事だ、その頃も日常の生活の中に父はおらず、この銭湯の記憶も一度きりなのだが。

何故この思い出だけかと言うと、普段は母と女湯に入り、母に体を洗ってもらうのだが、その垢すりたるや強烈で特に背中に至っては、背中の皮がむけるんではないかと思うほど痛かったのである、きっとこれが今のおいらのお風呂嫌いの由来ではないかと思われる、そんな訳で父が石鹸でさするように流してくれたあの心地よさが忘れられ無いのかも知れない。

でも、今思うにあれが愛情の濃淡ではなかったのかと、昼夜なく生活のために働き、その合間を縫うように銭湯に行き、わが身のように子供を一生懸命に洗う、あの痛さは母の愛情そのものだったんだと、あの頃の父親の愛情を否定したくはないが、おいらの背中を流す父の心は、その頃すでにどこか遠くを見ていたのではないか。

浮雲のような亭主に翻弄されていたあの時代の母、その後7年の年月を経て行方不明として離婚した、その後おいら達が皆成人してから再婚、義父はちょっとした名士で連れ添いの亡き後3人の娘たちに財産分けをし、母と第二の人生を歩むことに、その時、義父はまだ現役の社長だったので、先妻との間に息子がいなかった事もあって、おいらに会社の跡継ぎを強く望んだのだ、でも何故かおいらは頑なに拒んだ、別に義父との仲が悪かったわけでもなく、月給200万の生活に憧れが無かった訳けでも無かったのだが、きっと裕福に暮らす母の屈託のない笑顔を作り出す義父への嫉妬心だったのか、今思うとそんな心当たりも無くはない、その後おいらは義父の援助は一切受けず起業する事になる。

よく親父の背中を見て育つ、なんて言われるが親父の背中を知らないおいらは、理想の父親像と言うものに、人一倍こだわりを持っていたのかもしれない、今はもう孫を欲しがる年代なのだが、おいら、自分では見ることの出来ない親父としての我が背中を子供たちはどんな眼差しで見て来たのだろうと、はたして、おいらの背中は自信に満ち溢れていただろうか、答えは死んでも分らないが、それでも精一杯生きて来たという自負はある。

父親って、母親って、家族として子供たちと繋がり合っているだけで99パーセントの存在意義があると思う、近頃、母さんレス父さんレスの子供たちが増えている、だからといってそんな子供たちが不幸だと言う訳では無いが、父さんレスのおいらにとっては、やはり、どんな理由があったにせよ、親は子から離れるべきではないと思う。

何を言いたいのかよく解らなくなってきたのでこの辺でキーボードから離れることに・・


昨日今日と春の日差しが、もう5年も過ぎちゃったんだなぁー
人づてに知った実父の死から。



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中高年よ大志を抱け
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